これも、皆さんのおかげです。私が気が利かないので、受付をしてくださったり、記録をしてくださったり、アウンミャッウィンさんご自身が手伝ってくださったりと、たくさんのご協力があってこそ、できた集会でした。感謝申し上げます。
(支える会 野崎)
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「ぼくは難民です。」講演会レポート
(支える会 松崎)
2009年11月28日と29日にかけて、長崎と諫早でビルマ難民アウン・ミャッ・ウィンさんの講演会が4回開催され、全体では150名ほどの方が参加されました。(27日には長崎大学環境学部講座で学生たちに講演)
4回のうち、28日夜の岡まさはる記念長崎平和資料館では、約30名が参加。
当日の朝日新聞の記事を見てこられた方も2名あり、関心の高さが感じられました。
まずは入管がどのようなところか、そして密室で何が行われていたのかを知るためにDVD「壁の涙~入管で起きたこと。暴行と強制送還~」が上映され、暴行を受けて、強制送還されたパキスタン人のインタビューを観ました。
ウィンさんは、ビルマで14歳から民主化の学生運動に参加し、ヤンゴン大学学生の時に退学処分を受け、97年に亡命し、大使館デモで逮捕され、品川留置場そして牛久の東日本入国管理センターでの2年にわたる過酷な生活を強いられました。そこでは刑務所よりもひどい実態があり、特に、医療・衛生面でのお粗末さを指摘され、飲み水ですら錆びで茶色、台湾人の医者でコミュニケーションも十分でなく、また、与えられる薬はほとんどが睡眠薬や精神安定剤等、入居者を「おとなしくさせる」ようなものであったとのこと。
日本では、こうした「収容所」のことはメディアがとりあげることがなく、また、難民のことも知らない人が多いということを知り、自分(ウィンさん)は、初めは祖国ビルマの民主化のことだけ考えていたが、こうした経験から、世界中の難民のことについて活動しなければと考えるようになったそうです。
そのことを、「牛久大学の難民学部で勉強して、卒業認定(難民認定)され、証書一枚もらっただけ」と、ユーモアを交えて表現していました。
また、各国を講演旅行した際、日本の空港でだけ必ず足留めされる、その理由は難民パスポートを知らない入国管理官が多いからという、これまた日本のお粗末かつ理不尽な管理体制を指摘していました。
最後にウィンさんはこれまでの様々な経験を「長い旅」と例え、いつかは終わるが、必ずビルマに帰る。そして、軍事政権に関わった人たちを「赦す」ことで、対立を乗り越えてゆかねばならないといわれました。
これは、私たち日本の市民運動間においても非常に参考になる考えですが、まずはこの問題を広く知らしめ、日本に住む外国人と共に生きていける社会をつくることが、私たちがウィンさんから課せられた「宿題」ではないでしょうか。
※なお、以下の長崎新聞サイトでも、ウィンさんの講演会の様子が載っています。(28日コミュニティセンター・みずほにて)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20091201/08.shtml

